17年ぶりの利上げ
消費者物価指数(除く生鮮食品)が2022年4月から前年比2%を超える上昇を続け、日本銀行は今年3月に、8年余り続いたマイナス金利政策を解除し、17年ぶりに利上げに踏み切った。同時にイールドカーブ・コントロール(YCC)の廃止等も決定し、黒田前総裁の下で進められた「異次元緩和」は終了した。
今回の物価上昇の起点は、コロナ禍後の景気回復過程におけるエネルギー需要の高まりと、ロシアのウクライナ侵攻に伴う原油供給不安に伴うエネルギー価格高騰であった。また、物価上昇が加速したアメリカが2022年に金融引き締めに転じたことは、金利の高いドルが買われて大幅な円安を招き、日本の輸入物価をさらに上昇させる要因となった。
当初、エネルギー価格高騰が一巡すれば、消費者物価上昇率は鈍化すると見られていたが、それに代わって物価の押し上げ要因になっていったのがサービス価格である。コロナ禍後のサービス需要の回復、それに伴う人材確保のための賃上げが、サービス価格上昇をもたらした。
このように日本の物価は、輸入物価上昇に伴い上昇するという段階から、賃上げに伴って上昇する段階に移行していった。物価上昇と賃金上昇の好循環の兆しが見えつつあるという判断が、異次元緩和終了の決め手となった。
YCCの当初の誘導目標は、短期金利-0.1%、長期金利(上限)0.25%であった。中央銀行は伝統的には、短期金利を狙いの水準に誘導することで長期金利に影響を及ぼしてきたが、異次元緩和の下での日銀は、長期金利も国債売買によって直接コントロールした。
しかし前述のアメリカの引き締めは、次第にYCCの枠組み維持を難しいものにしていった。金利上昇圧力が高まる中、日銀はそれに対抗するため、大量の国債購入を余儀なくされた。この過程で金利差から生じた円安抑制のため、日本の引き締めの必要性が高まっていった。
引き締めの順番としては、まずは長期金利の上限引き上げが必要であった。しかし、引き上げ予想が強くなると実際の引き上げ前に市場が国債を売り浴びせ、長期金利急騰の恐れがあることが問題だった。そのため日銀は、上限の0.5%への引き上げ(2022年12月)、1%への引き上げ(2023年7月)を市場予想に先回りするタイミングで行い、2023年10月には1%を超える可能性を認め、YCCは形骸化した。こうして日銀は市場の混乱を招くことなく、YCCを廃止することに成功した。
物価・賃金が動く世界へ
2%を超える物価上昇が長く続いたことで、企業、家計の先行きの物価見通しは大きく上昇した。とりわけ企業の物価見通し(5年後)は急上昇し、2023年12月調査で2.1%に達した(日銀短観)。これは企業が、2%の物価上昇は一時的でなく、中長期的に続くと考えるようになったことを示す。
企業はバブル崩壊後、景気停滞が長期化する過程で、グローバル化による価格競争激化の影響もあり、コスト増を価格に上乗せすることが難しくなっていった。そうしてベアの慣行は失われ、それは賃金を抑制し雇用を守ることにつながったが、その過程で、物価・賃金を上げないことが当然視される世界になっていった。
しかし前述のように、現在の物価上昇はサービス価格にまで波及し、今年の春季賃上げ率は5%超えとなった(連合調査)。これは、物価・賃金が上がらない世界から、コストが上がれば物価を上げ、物価が上がれば賃金も上がるのが当然という世界に転換したことを示している。異次元緩和に批判もあったが、結果としてデフレから脱却し、物価・賃金が動く正常な経済の姿に変わったとすれば、成功だったといえるのではないか。
政府債務問題解決への道筋
ただし、金融政策正常化はまだ完全に終了したわけではない。日銀はYCC廃止、マイナス金利解除までは周到に進めたが、その先の利上げには極めて慎重な姿勢を示してきた。このことが、アメリカの利下げへの転換の遅れと相俟って、金利差から再び円安になりやすい状況となり、輸入物価上昇を通じた物価上昇加速の懸念が高まっている。そのため、今後の利上げのさじ加減が日銀にとって悩ましい課題となっている。
経済成長の腰を折らず、かつ適度な物価上昇を維持することは、日本の名目GDPを伸ばすことにつながる。そしてそれが、累増した政府債務の名目GDP比を低下させるという意味で、政府債務を削減する道となる。
日本では1990年代後半以降、企業部門において投資が貯蓄を大幅に下回る貯蓄超過の状態が続いてきた。これは、日本の成長力低下に伴い、企業が有望な投資先を見い出せず、資金を持て余していたことを意味する。企業に代わって資金の使い手になったのは政府部門である。しかしその代償として、政府債務残高(名目GDP比)は世界で最も高い水準となった。デフレ脱却が現実のものになった今、この政府債務問題をソフトランディングさせることのできる金融政策運営が求められているのが現段階と言える。