テレワークと生産性
コロナ禍で否応なく導入せざるを得なくなったテレワークであるが、業務の内容や働く人の事情によって今でも実施可能ではあるものの、結局は、コロナ禍前の出社を基本とする勤務形態に戻っている場合が多いように見受けられる。
この背景には、テレワークは生産性の面で必ずしも良い影響を及ぼさなかったことがある。では、どういう場合にテレワークで生産性が上がるのか。これには、ハーバード・ビジネス・スクールのチョードリー准教授による論文[1]が参考になる。
この論文は、米国特許商標庁に勤める特許審査官(=高学歴で専門的な仕事)を対象に研究したものである。米国特許商標庁では2012年からワーク・フロム・エニウェア(どこからでも働ける、100パーセントテレワークの制度)を実施したが、そのもとで生産性がどのように変化したのかを分析した。
結果として、審査官の成果は4.4パーセント増加した上、手戻り(出願者からの申し立てを受けた後の審査結果の書き直し)の大幅な増加や、特許品質(審査引用の回数で判別)の低下は見られず、生産性は向上した。
ワーク・フロム・エニウェアで審査官はどこに住んでも仕事ができるようになり、平均すると生活費の大幅に安い場所に引っ越し、米国特許商標庁にとっては給料を増やさずに、職員の実質賃金を高めることができた。さらに、定年に近い審査官はフロリダ海岸沿いのエリアに移住する傾向があった。つまり、定年間近の人は、引退への準備の意味も含めた働き方が可能になった。
しかし一方で、集積の効果は依然として残っていた。ワーク・フロム・エニウェアで働いている審査官の生産性は、他の審査官の居場所との距離が40キロ以内の場合、向上する傾向があった。これは、同じ技術分野を担当している人同士の場合である。一方、技術分野が異なる審査官同士ではこうした効果はなかった。つまり、テレワークでより一層生産性を上げるためには、仕事内容が似ているワーカーが互いに近距離で仕事をし、学び合える状態、つまりクラスターの形成が必要ということである。
ハードルが高い生産性向上の条件
この論文の特許審査官のように、業務の独立性が高く、労働者が仕事を熟知している場合には、テレワーク導入は生産性を上げる効果が出てくる。また、テレワーク下でも集積の効果を発揮させるためには、クラスターの形成(定期的な顔合わせ等)が必要になる。生産性が向上すれば企業にとってもテレワークの導入は望ましいが、こうした条件を満たす業務は必ずしも多くはない。
チョードリー准教授は別の論文[2]で、テレワーク導入に際して、どういう措置が必要なのかを述べている。それぞれ働く時間帯が違う場合には、ブレーンストーミングや課題解決のための同期型コミュニケーションに困難が生じるため、そういった場合には非同期型コミュニケーションの活用が必要、分散して働くメンバー1人1人がもつ知識の共有が難しい点についてはリポジトリー(保管場所)の作成が必要としている。さらには個々に仕事をすることで仲間意識が希薄化して孤立化しやすいことについては、計画されたランダムな交流の場を設定することが必要、労務管理の問題で離れて仕事をする人のスキルを評価し適正な報酬を払うのが難しいことについては、労働時間を管理するのではなくて質を管理することが必要と指摘している。
チョードリー准教授自身は2021年時点で、ワーク・フロム・エニウェアには難しい課題が多いが、そうであったとしても企業は、働き方を現状のままにするよりは、ワーク・フロム・エニウェアを可能にするためにどのような条件を整えるのが必要かを考えることが重要と述べていた。ただこれは言うは易くても、実行するのは難しい。
結局は、テレワークで出社する場合と遜色ない生産性を発揮させるためには相応のコストがかかり(現実的に満たせないものもある)、出社中心に切り替えた方が早いとなったのが成り行きである。ただ、特許審査官の場合のように、業務の独立性が高く、労働者が仕事を熟知している場合は、テレワークで大きな問題がないことが明らかになり、そういう意味では働き方の自由度は業務によっては高まったというのが、コロナ禍後の変化であろうと思われる。
参考文献
チョードゥリー,プリトラージ、バーバラ Z. ラーソン、シーラス・フォローギ(2019)「従業員に『働く場所の自由化』を認めるべきか」『ハーバード・ビジネス・レビュー』9月
チョードゥリー,プリトラージ(2021)「従業員が場所を問わずに働く『ワーク・フロム・エニウェア』を実現できるか」『ハーバード・ビジネス・レビュー』4月
[1] チョードゥリーほか(2019)による。
[2] チョードゥリー(2021)による。